
南海高野線・堺東駅(西出口)を降りると、
目の前のアーケードに「GINZA STREET」の文字が。
この界隈が堺銀座商店街です。
戦国時代、銀の輸出量が世界一だった日本。
兵庫県の生野銀山で産出した銀は、堺で加工され南蛮貿易の対価として輸出されました。
世界中で流通していた銀の半分程度は日本産だったとも云われています。

銀を加工する職人が住んで作業していたのが、このエリア。
旧堺市街地(環濠エリア)に隣接した場所になります。
与謝野晶子や沢口靖子の母校、泉陽高校もすぐ近くにあります。

この辺りには、昔から柳の木が多く植えられており、
堺市の「木」は、柳と制定されています。

東京の銀座は、堺の銀職人が移住した場所です。
故郷を懐かしみ、東京・銀座にも柳を植えたと云われています。